今夜も開催! 「徹底討論!東京五輪の最高のやり方と最悪のやり方」
こんにちは。
今日の東京は曇り空。。。梅雨入りした空気を感じます。
さて、昨日、緊急のお知らせをした令和哲学カフェ
「東京五輪 危機かチャンスか 徹底討論!」を視聴しました。
あえて両者に分かれて当事者の気持ちになって討論するスタイルだったのですが、これが想像以上に面白くて。
台本はないようなので、すべては出演者のアドリブだったかもしれませんが、瞬時に観点を変えながら主義・主張していく様は、とてもかっこよく気持ちよかったのです。
きっと、主義・主張を苦手とする日本人代表の自分が描く理想の人たちのように見えたからでしょうね。
もちろん内容に関しても、とても興味深いものでした。
昨日の討論テーマは
「東京オリンピックは危機なのかチャンスなのか」
この中でNoh Jesu氏が言っていた観点にハッとさせられたのです。
五輪やってる場合じゃないというツイートが何と10万件にのぼったり
五輪反対デモが行われたり
または、賛成団体が開催を訴えたり
テレビ局を初めとするマスコミが抱えるジレンマだったりと
開催一か月を切った今現在でさえも、国内はこのような状況です。
そんな日本の現状にNoh Jesu氏は
「開催するしないの論議をするステージはもう終わったんだ」
と言われたのです。
G7首脳会談で菅総理は、各国の首脳陣に向け「東京オリンピックを開催する」決意表明をし、選手団の派遣を求めたのです。
そうです。
各国の首脳陣の賛同を得た日本は、開催に向けた最終準備へとすでに舵を切っているのです。
もしそれまでに菅さんらの主張を変えることができたなら事態は変わっていかもしれません。
ですが、今となっては例え反対の声をあげようとも、もう後戻りはできないのです。
だったら、私たちはどうすればいいのか?八方ふさがりではないのか?
一瞬、私の中でそんな考えが浮かびました。
そこで、続けてNoh Jesu氏が言ったこととはこうでした。
「最悪のやり方や最悪の結果、そして最高のやり方や最高の結果がどうなるか。
今はこれを考える時だ」
な、なるほど。。。目からうろこでした。
そうなんです、国民が今から考えるべきことは
最悪のやり方で最悪の結果が生まれたときに日本や私たちの生活がどのように変わっていくのか
最高のやり方で最高の結果がうまれたときに日本や私たちの生活がどのように変わっていくのか
これらをイメージシュミレーションしてみることなんです。
「最悪のやり方によって生まれる最悪の結果と、最高のやり方によって生まれる最高の結果」
をテーマに引き続き今夜も徹底討論が行われるそうです。
このブログをご覧の皆様もぜひ関心を持って視聴してみてくださいね。
News!東京五輪開催が危機となるかチャンスとなるか!令和哲学カフェで白熱討論!
こんにちは。
今日の東京は雨模様ですが、皆さんはいかがおすごしですか?
本日は、みなさんにお知らせしたいことがあってBlogを書いてみました。
今夜6月23日(水)21:00〜、私が毎晩楽しみに視聴している令和哲学カフェ で、緊急特別企画があります。
そのテーマとは「東京オリンピック開催は危機となるか、チャンスとなるか!徹底討論!」です。
開催まで一ヶ月と迫った現在でも、国内外でその是非が問われている、今回の東京オリンピック。
都知事の小池さんが過労にて公務を離れたというニュースがありましたが、それほど今回のオリンピック開催までの道のりは今までのどの回よりも重責を担っていると言えるのではないでしょうか。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210623/k10013098861000.html
今でこそオリンピックに経済効果を期待する風潮が強いですが
本来のオリンピックの目的は、創始者の問題意識から出発したようです。
オリンピック憲章というものを皆さんはご存知でしょうか。
オリンピック委員会でもこのような講演が行われていましたが
https://olympics.com/tokyo-2020/ja/news/news-20210329-01-ja
創始者のクーベルタンが提唱したオリンピック憲章に「オリンピズムの根本原則」というものがあります。
これを簡単に言うと、生き方の哲学であり、目的は人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の構築に寄与することだと言えます。
そんな素晴らしい理念の元に開催されてきた世界的平和の祭典でもあるオリンピックが、コロナ禍というかつてないタイミングに生きているこの日本で開催されると思うと実はとても意味があるのではないか・・・と感じざるを得ません。
とは言うものの手放しでは喜べない世論やパンデミックの状況もあります。
ですので、今夜の令和哲学カフェでは
●東京オリンピックを開催することのメリットとは?デメリットやリスクとは?
●開催することが危機となるか?チャンスとなるか?
●東京オリンピック以降の日本が辿る100年先も見据えた未来とは?
そんなトピックを中心に公開討論をするというNewsにとても関心を持っています。
公開討論のファシリテーターは、令和哲学者Noh Jesu氏。
このNoh Jesu氏、世論の荒波を物ともせず、荒波を逆手に取ってチャンスへ転換するプロであり、韓国人でありながら、日本への愛情を無限大に持った思慮深い新時代の令和の哲学者です。
彼は当初から「東京オリンピックによって日本が世界に与えるメッセージの価値」を訴えていました。
今回、彼の呼びかけによって集まった5人がどんな白熱した討論を見せてくれるのか、楽しみですね!
体質改善をやってみて
こんにちは。
今日は、体質改善について書いてみますね。
シュガーフリー、グルテンフリー、そして週一のファスティングを初めて1ヶ月が経ちました。
奇跡!!
それまでの私は、食べる事が大好きで大好きで、食べ過ぎて気持ち悪くなることがしょっちゅうでした。
食べ物の中でも特に大好きだったのが甘いもの。
毎日何かを口にしていないと落ち着かなかったので、深夜でも近所のコンビニへお菓子を買いに出かけ、支払いを済ませた直後に袋を開けて食べ始めたり、仕事帰りで疲れたときなんかは、最寄り駅から家までの間にある数件のコンビニにいかに立ち寄らず帰宅できるかを死にものぐるいでガマンしたり、というような、砂糖中毒患者でした。
そんな私が、絶対に無理!と諦めていたシュガーフリーとファスティングをなぜ1ヶ月も続けてこられたのか?
それは、体調の悪化で背に腹は変えられない状況まで追い込まれてしまったからです。
人間は、生命の危機を感じると、今までのパターンさえも一瞬で変えられるんだなあとひしひしと感じています。
実際、体調にどんな変化があったのかは正直まだよくわかりません。
ですが、お菓子や小麦粉製品を抜いた分、お肉お魚中毒になってしまいました。
ファスティングの効果なのか、お肉お魚を取っても太らなくなったし、何より食事がおいしい!
今週からは、ファスティングを週2にチャレンジしてみようかなと思ってます。
同じように体質改善に取り組んでらっしゃる方がいたら、お話聞いてみたいです。
正しい絶望ってなあに?
こんにちは。
今日は「正しい絶望ってなあに?」について簡単にご紹介したいと思います。
そもそも絶望に正しい間違ってる、なんてあるの?という疑問が浮かびませんか?
私も以前はそう思ってました。
ですが、物事を理解して実行へ移し、結果を得るには、曖昧な世界を明確にする必要があります。
令和哲学では「正しい絶望」を簡単に言うと3つで整理できます。
1、
一分一秒も同じ画面を誰とも共有できないのが人間です。
それぞれの経験値、環境、条件、状況、習慣が全く違うので、誰一人として一瞬たりとも同じ画面を見る事は不可能なのです。
また繭に入った蚕状態の人間をイメージしてみると分かりやすいのですが、人間は目で見て存在させて有ることを前提に生まれて死んでいきますが、これは繭の中から一度も出る事なく生まれて死んでを138億年間繰り返している状態です。
これでは永遠に自由にはなれません。
2、
仮に繭の外に出ることができたとしても、無間地獄が待っています。
自分が何者なのかが分かりません。
※無間地獄とは仏教語で、大悪を犯した者が死後絶えることのない極限の苦しみを受ける地獄で八大地獄の八番目。
3、
体を持って生きることが究極の絶望であること。
令和哲学では、体を持っているのが人間であり自分であると思って生きる事は四苦八苦の人生であり、絶対に幸せに離れない、と言っています。
これが意味すること、体を持って生きては1000%幸せにはなれない構造が明確に分かった時に、体を持った人間として生きることを手放すことができます。
究極の絶望と出会った時に、一分一秒を体だけが自分ではない自分として生きる決断と覚悟ができます。
なかなか絶望を掘り下げて考える事はないと思いますので、少し難しいかもしれませんが、頭の片隅にでも置いてみてくださいね。
”世界初•歴史初”の発見•発明
こんにちは。
皆さんは、自ら何かを初めて発見したり発明したことはありますか?
その発見や発明が、世界初や歴史初と言えるものはありますか?
令和哲学者Noh Jesu氏が今まで提唱してきたものには、偉人達がなし得なかった発見や発明が沢山あるんです。
今日からは、令和哲学者Noh Jesu氏の”世界初•歴史初”発見•発明シリーズを少しずつご紹介したいと思います。
1、全ての問題を生み出す根本問題、すなわち観点固定の問題を解明
私たち人間が生きている中には、無限の問題があります。
例えば「自分に自信が持てない」というような悩みから「なぜ世界中で戦争が終わらないのか」というように、パーソナルな問題からグローバルレベルの問題まで多種多様で、それらの原因も多種多様に定義されています。
多種多様な原因から多種多様な問題が生まれている、と普通なら思うはずです。
ところが、Noh Jesu氏は、それら全ての問題には共通する一つの根本的な問題がある、と言っています。
その一つの根本的な問題とは「観点固定」です。
人間には視覚•聴覚•触覚•臭覚•味覚という5感覚があります。
それぞれ違う環境と情報を5感覚を通してインプットし、自分の判断基準(観点)を作っていきます。
判断基準を持ったそれぞれの人は、繰り返しそれぞれの考えや感情や言葉や表情をアウトプットしします。
繰り返すことで自分の判断基準(観点)が絶対正しい!と疑うことなく日常生活を送ります。
いや、そんなことはない、自分が間違っていると思うこともある!と言いたい方もいるかもしれません。
ですが、ここで言いたいのは、判断基準(観点)を作る元にある脳と関係があります。
Blogやyoutubeチャンネルがありますので、詳しくはそちらを参照くださいね。
究極の絶望なくして究極の希望なし
こんにちは。
今日は、究極の絶望と究極の希望について書いてみたいと思います。
歴史的偉人や世界中の著名人が残した名言の多くが、絶望をよしとせず希望を見い出すことに主眼が置かれています。
「希望を見失わなければ、苦しみや絶望から抜け出せる」
「絶望があるから希望を持てる」
このように、私は自分の苦しみや絶望感を経た後に、希望の光を掴むことが出来る、と頑張っていた時期がありました。
ハーバード大学の意思決定センターでは、人間の感情についての研究が行われており、その研究によると、人間の感情は12種類に分けられて、その中のひとつである「希望」だけが、他の感情とは違う、ある特殊な特徴があるようです。
その特徴とは
「希望」は「絶望」の後にしか現れわれない。
これは
「絶望」の後に「希望」が現れる
ということです。
ただ、ここで重要なのは、自分が経験や体験した絶望ではないということです。
公式として以下が成り立ちます。
人間が共通に持っている限界=究極の絶望=正しい絶望
では正しい絶望とは何でしょうか?
そのイメージができた時、究極の希望の扉を開くことが出来るのです。
中途半端な希望や幸せではなく、誰もが究極の希望へ到達してほしい!
そんな令和哲学者Noh Jesu氏の切なる願いから開発されたのが、今まで聞いたこともない「正しい絶望」をイメージできる「絶望シュミレーションワークショップ」
ワークを通して、正しく絶望する道を案内していきます。
多くの人と一緒に、正しく絶望する旅に参加してみたいですね。
哲学的な解析でみた自殺とは
自殺について
先日の令和哲学カフェのディスカッションテーマは「自殺について」でした。
センシティブなテーマではありますが、コロナ禍で増え続ける自殺について、もはや他人事ではいられないのが現状かと思います。
ドイツの哲学者であるショーペンハウアーは著書の中で「自殺」について
「人間の最高の倫理的目的に向うことに対して反抗になってしまう」と書いているそうです。
それに対して、令和哲学者のNoh Jesu氏は
「精神の悩みを生命のレベルで解決しようとしたものが自殺だ」
「自殺する人は生きる意志がないのではない。悲惨な環境を変えられないと思うから自殺してしまう」
と言っていました。
人間は環境に合わせて流されはしても、変えることは困難を要します。
それは、私たちが当たり前に学んできた学問の出発が「存在する物質を目で見ようとする」からです。
物質が存在するものを目で見る出発の学問では、鬱や自殺、殺人や戦争をなくすことはできません。
完全学問として体系化した令和哲学者Noh Jesu氏は、環境を統制し、変化させる方法として
「人間が悟ること」
としています。
目の前に見える世界が、どこからどのような仕組みによって成り立つのかが分かって、
宇宙のすべてが、自分の意識の宇宙であることがわかれば、 自分で環境を統制することができます。
私も、幼少期から何度も自殺を試みた張本人でした。
Noh氏の話を聞いたとき、なぜ私が自殺したかったのか、でもそれでも死に切れなかったのか、それが理解できて、号泣しました。
このことを知らない人達が、昔の私と同じように、貴重な命を自ら投げ出すという行為を繰り返しています。
自殺をする本人が、その周りの人が、環境が問題なのではありません。
環境を統制できる方法を教えられない学問に問題があったといえます。
それらの学問に本物の哲学と本物の学問がなかったからです。
これからは本物の哲学と本物の学問が絶対的に必要な時代です。
この日のアーカーイブがあるので、ぜひ視聴してみてくださいね。