Vie verite!

真実的生き方

女性として生まれて

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今日は、東京、大阪、沖縄から集まった女性陣で、女性の生き方、働き方、母親についてフリーディスカッションをしました。

女性という性を持って、色んな場面で感じてきたみんなの色んな思いを聞くうちに、自分でも忘れていたことを思い出したりして、社会で女性が声高にできない苦しみや悲しみ、喜びや感動がまだまだ沢山あることを実感しました。

次に生まれる時も女性として生まれたい!と思える女性を増やしたい!

子供を3人生み育てた彼女の言葉に、感動の涙の連鎖が起こりました。
今後も、女性達の声を拾い上げながら、男性女性が本当の意味で共存し生かしあえる世界を作るにはどうすればいいか?というテーマを更に深堀りしていきたいと思います。

体質改善

 

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体質改善のため、グルテンフリー、シュガーフリー、ファスティングを始めました。
今日は1日ファスティング後の一食目を食べました。
やっぱりご飯はおいしい〜💞
砂糖や小麦粉を徹底的に抜くのがまだ難しいので、今は出来る範囲でしばらく続けてみようと思います。
効果があった人からも色々聞いてみたいです。

3コウに見る渇望消費


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先日、テレビで目にした株式市場のニュースで、コロナ禍の傾向について話していました。
最近の注目株のキーワードは、高品質、郊外、抗コロナの”3コウ”のようです。
 
【高品質】 自己投資を惜しまない。ex.高級輸入車有機野菜
【郊外】 密を避けて郊外へ。レジャー産業など。ex.釣り
【抗コロナ】 密を避けた店舗、商品展開。ex.バイク
 
失業、倒産が相次ぐ中、郊外へちょっとした贅沢を求めたり、自己投資を惜しまない人達も多いようです。
 
コロナと共存する生活はしばらく続きそうなので、このような企業はしばらくはコロナが追い風となって好調かもしれません。
ですが、アフターコロナ後も永きに勝利しようと思うなら、アフターコロナの世界をより鮮明にイメージして、人が普遍的に持つ渇望にアクセスできる商品戦略を打ち出せるのかが鍵になるのではないかと思います。

撮影技術を学ぶ

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こんにちは。

今日は、最近チャレンジしていることを書きたいと思います。

 

5G時代到来で、私にとって今まで縁遠かった技術を身に付ける必要性を感じています。

その中の一つが”撮影技術”ですカメラ

 

父親の仕事柄、小さい頃からマスコミ関係者と接することが多く、撮影現場に行くこともあったんですが、学ぶという選択肢はありませんでした。

ですが、父親の仕事を傍らで見ていたからでしょうか。

映画やドラマ、舞台にどっぷりはまって観るというより、どんな思いで演じているんだろう?と想像したり、どうしてこんな表現をしているんだろう?というような、演者や制作側に興味を持っていました。

 

とは言うものの、私はひどい機械オンチで、難しい操作をしないといけないくらいなら「いらない!」って思うほど。

そんな私が、何をどう触ればいいのか分からないような高額なカメラを扱って撮ってみたい!と思ったのは、自分が伝えたいことを表現できる、5G時代には必須の技術だと思ったからです。

今はyoutubeSNSで自由な発言や発信が個人レベルで可能な時代ですが、コンテンツの質を問われる時代がもう来ています。

コンテンツの質に加えて、コンテンツをより多くの人に正しく、より感動やショックを伝えられるようになりたいなと思っています。

 

まだヨチヨチ歩きの赤ちゃん状態ですが、少しずつ習得していきたいと思いますラブラブ

 

ダイバーシティは究極のシンプルさ

先日、ポストコロナオンライン会議に参加しました。

 

今回のテーマは「ダイバーシティ

直訳すると”多様性”を意味し、多種多様な人がお互いの違いや個性を受け入れながら、共に成長、共存共栄する、とされています。

令和2年には、経済産業省が「ダイバーシティ2.0」を提唱し、企業価値を生み出し続ける経営上の取り組みを推進しています。

 

近年、よく耳にするようになったダイバーシティですが、実は直訳以上のイメージがなく、多様性についてそこまで違和感もありませんでした。

ところが、ポストコロナオンライン会議内でNoh Jesu氏が言っていた多様性のイメージにびっくりしてしまいました。

 

彼が言っていたのは、多様性とは”究極のシンプルさ”でした。

受け入れることでも違いを認めることでもなく”生み出すもの”。

多様な存在とパートナーを組むことが出来て、多様なパートナーを生み出すことが出来る能力。

違いを認めよう!なんていうのは、本当の日本の心を病気にさせるキーワードであり、うすっぺらい相対的な和。 

日本は絶対的な和、究極のシンプルさで一つにできる国。

 

目から鱗の時間でした。

方向性不在、リーダーシップ不在、逃げ道がない日本。 さてどうする日本、私たち。

今日は、日本が置かれている現状について書いてみたいと思います。


今の世界の共通課題と言えば、昨年から猛威を振るっている「コロナウィルス」があります。

 

ひとつながりの世界で自国だけの解決はありえないこの課題に付随して、列挙するまでもなくあらゆる問題が生まれています。

そして、その一つに「東京オリンピック開催」があります。

 

問題としたのは開催に対する是非を問うものではなく

日本のコロナ対策とリーダーシップ不在、そして世界の協力体制にあります。

 

本当にオリンピック開催を目指すのなら、なぜ早期に計画的にロックダウンを実行しなかったのでしょうか。

もし十分な防疫対策を実行していたら、世界からモデル国家として一目を置かれていた可能性もあったのに、科学的な根拠も不十分なまま中途半端な緊急事態を続けた結果、経済的打撃を受け弱った市場に資金投入の形で点滴を細々と入れ続けるも、医療体制の崩壊寸前まできている状態です。

 

オリンピックを機に日本の目指すべき方向性を国民と共有し、全日本を団結させて新しいオリンピックのあり方や新しい日本をPRすることが可能であったはずだし、コロナ禍においての開催をメリットに変える道があったはずなのに、道半ばの退任となった安倍首相、後任の菅首相がそんなリーダーシップを発揮できていれば現状は大きく違っていたのではないでしょうか。

 

度重なる緊急事態宣言に、もはやまともに耳を傾ける国民は少なくなり、変異ウィルスに置き換わって更に広がっているこんな状態でも人並みは減ることなく、国民のフラストレーションは爆発寸前とも言えます。

 

こんな非常事態で、コロナウィルスに対して、オリンピック開催に対して、自国の防疫だけを考えていては解決できない問題だと思うのですが、世界が連携して日本のオリンピック開催を成功させる為のサポート(例えばワクチン開発や接種、防疫対策など)など、そのような協力体制は感じられません。

 

そしてオリンピック開催を反対する約90%の国民に対して約5%〜10%・・・でしょうか。

自分の利権をを死守するためだけに無理矢理開催を押し進めているようにも見受けられます。

このままなら早かれ遅かれ中止の声をあげるしかないでしょうが、それだけは避けたいと保身する彼らの思惑も透けてみえます。

 

方向性不在、リーダーシップ不在で、逃げ道がない日本。

さてどうする日本、私たち。

個人主義で生きる時代はもう終わり

今までの私は、一人でやるのが当たり前、一人で解決するのが当たり前、の人生でした

 

一人で戦って、比較して、負けないようにがんばるので、みんなで何かをやっても、無意識では、心の底から相手を応援できませんでした 
だから、どんどんと孤独感が募り、更に輪の中に入っていけなくなる、というフラクタルでした


ですが、仲間との交流を通して、いかに自分が個人主義であるのか、相手を応援できないのかを突きつけられました


それも、【チームプレーが大事だよ】【みんなでがんばろう】なんてわざわざ言葉にする訳でもなく、ただありのままの私を受け取ってくれたことがとても嬉しくて、涙が出てきました


チームプレーなんて青臭い
そんなことをずっと思い続けてきた私にとって、力が抜けた瞬間でもありました


個人の力だけで生きる時代はもう終わり
チームプレーで成し遂げる世界で得られる感動を、多くの人と共有したいと思っています